私が小学生だった頃、学級会というのがあって、その日の課題にそって司会役の学級委員の進行のもと、話し合いが行われる。
「これについて、〇〇さんはどう思いますか。」
「いいと思います。」「△△さんと同じです。」「僕も同じです。」・・・
毎回、こんな感じの話し合いが多く、意見を言うのは少数。たいていは、他の人と同じという返事ばかりだった。
目立ちたくない。意見を言うのは恥ずかしい。周りに合わせればいい。
こんな日本人的なところが、そうさせていたのだと思う。文化だからある意味仕方ない。
しかし、このような自分の意見を言わない、つまり、自分はどうしたいのかを敢えて考える必要がない生活をしていると、そのまま自分の意見がない、思考することもないまま大人になってしまう。
就活の面接でもネットで事前に調べた誰かの答えをそのまま言うようなことになる。
人事担当者が「みんなマニュアル通りのような同じことを言う」と言っていた。
自分の思考、考えはどこにいってしまったのか。
思考することもなく、英語を習ったところで大したことは言えないままで終わってしまう。
どんなに単語を覚えても、英会話を練習しても、自分の考えが曖昧である以上、英語は使えるものにはならない。
中学生の英作文にこのようなものがあった。
I like soccer because I like soccer,(私はサッカーが好きだからサッカーが好きだ。)
理由になっていない。思考されていない、まったく・・・
私はよく生徒さんに休日の出来事などを説明してもらうことにしている。日本語でだ。
進学校に通っているような子でも、話が順序だっていない、あちこちに飛ぶといったいわゆる理論的に説明できない子もいる。
聞いている方は何が言いたいのかつかみにくい。
「相手が察してくれる。」といった日本人的甘えは英語では通用しない。
考える力を鍛えるために親が日頃からできること。
何でも親が先に気を利かせ過ぎて言ってしまわず、子どもにどうしたらいいのか、なぜなのかなどきちんと説明させよう。
考えて言葉を使って言いたいことを伝えるということをしっかりやる。
こうした力は英語力だけではなく、生きる力にもなる。