日本語大事

やっぱり母国語って心のよりどころかも

大切な母国語。言葉と心の関係を自分なりに考えてみた

言葉は目に見えない。でも心を音に変換させる物だから、
きっと心のよりどころになっている。と思う。

特に母国語は。

科学的根拠はないけれど、私が勝手に思っていることだけれど、
母国語、つまり日本人にとっての日本語は
きっと遺伝子の中に含まれていて、細胞の隅々にまで浸透している。

だから、母国語は口で話しているだけじゃなくて、きっと体全体で話している。
無意識に話せるのはきっとそうだから。

海外で暮らしていて、日本語を聞くと安心する。

日本語が話せると嬉しい。

外国の人が流暢に日本語を話しているとなんか親近感が湧いてくる。

同じ人でも理解できない言葉を話していたら違和感を感じることもあるのに、
日本語を話してくれた途端、なんか文化の壁が壊れて仲間のような感覚になる。

赤ちゃんはお母さんのお腹の中にいる時からお母さんの話す声を聞いている。

だから本当は生まれた時から言葉をきっと理解している。
やっぱり細胞にも行き渡ってる。

言葉を声に出すまでに1年くらいかかるだけで、本当はわかっている、きっと。

私にはいくつか記憶がある。
まだ歩けない赤ちゃんだったのに、ことばを理解していた。

信じない人もいると思うけど・・・・はっきり覚えている。

寝かされた自分の上でクルクル回るおもちゃを見ながら思ってた記憶。

「このおもちゃ好きじゃないのに、止まるとすぐにつけにくる。やらなくていいよ。」

床にうつ伏せにされて、隣におもちゃが置かれてた。
知り合いのおばさんが来てる。

「うつ伏せって体がきつい。」
「おばさんがよくしゃべっている。」

親がおばさんに言う。
「あの子あのおもちゃが好きなのよ。いつも遊んでるの。」

「勝手なこと言って。私はこのおもちゃがきらい。倒してもすぐに起き上がる。」

そう、親が話している母国語は体の一部。だから大切に育てていかないといけない。

ことばとその意味を成長過程でリンクした体験と共に、身体全体で理解していく。

そうして、遺伝子に組み込まれた言葉は私たちの心と体の安心になっていく。たぶん。

片方の親が英語を話す子は生まれつき2つの言葉の遺伝子を持っているのかもしれない。
だから2つの言語を無理なく覚えられる、両親が日本人の子よりも。

言葉を育む大切な幼少期に違う言語を混ぜない。それって大事だと思う。