グローバル文化の違い

これからの時代はグローバルに対応できないと!「グローバル」って実際どういうこと?

どこもかしこも「グローバル、グローバル」で、「グローバル」って実際どういうこと?

よく誤解している人がいるけれど、
「グローバル」っていうのは、単に「英語が話せること」じゃない。

「global」とは「地球全体の」とか「地球的規模の」といった意味の形容の言葉だ。

地球規模のつながりを表すので、別に言語は英語だけじゃない。

「これからの時代はグローバルに対応できないといけない。」
「グローバルな人材を求めています。」

などの文句をよく目にするけれど、
実際みんなどれくらいの理解と認識を持っているのか。

本来、この言葉がどういう定義を持って使われているのか、
これは私の個人的な考えだけれど、

「地球的規模でボーダーラインがない」という事であれば、
単に「英語が世界中どこに行っても通じます。」って事ではなくて、

本当は、心のボーダーラインがないことがこの言葉の理想なのではないかと思う。

それぞれの国の文化、習慣、思考、歴史また人種などの違いをお互いに理解して尊重する。

皆が目指すものであるなら、これがグローバルな世界なのだと個人的には理解したい。

当然、言葉は相手を理解するためにはとても大切だ。
だから、どこでも通じやすい英語をみんな勉強する。

でも、言葉を勉強しただけで、グローバルに対応できるわけじゃない。
偏見のないものの見方、
違いを理解する心の広さや柔軟さ。
これを養わないと。

だからたとえば単にアメリカ英語を話し、アメリカ人っぽくすることがグローバルでもない。

英語を勉強するのは何のためか。

あまり深く考えず、やみくもに英語にばかりお金をかけ、
うちはグローバル対応できます!

っと思うより、もっともっと視野を広げること。理解を深めること。
その上に、たとえば英語という共通のことばの価値が浮かんでくる。

そのために、親やその他の大人たちがすべき事は何か。

日常生活の中で、ニュースを一緒に見て考える。
旅番組でもいいので、世界に目を向けて知る。

「このサーモン美味しいね。」
なんてただ食べるだけではなく、

「これはどこで獲れたのかな? ノルウェーって国だね。どんな国なのかな。」とか
自分達の生活が世界と繋がっていることを日頃から意識させるって大事だと思う。

世界に興味がなければ、きっと英語にも興味は湧かない。
英語はまず世界を知ることから!